19世紀後半、交霊会の方法―スピリチュアル史解説[コラム]
掲載日時:2010.02.12 18:00
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掲載日時:2010.02.12 18:00
19世紀後半のスピリチュアリストたちは、こうして霊と交信してきた!
昔、日本でも「こっくりさん」という霊と交信する「遊び」が、何度か流行しました。人間が霊的存在から、なんらかのメッセージを受信しようとする行為自体は、様々な文化の中で非常に古くから存在します。けれどもそれらは、本来、神官や宗教家、あるいは広い意味で「シャーマン」と呼ばれるような、その共同体の中で独占的に聖性へと関わってきた特権的な人々にのみ許されていたものでした。
けれども今日では、随分とその様相も変わってしまっています。
ごく普通の人々の間でも、なんらかの霊的存在と交信できるという人が、意外と多く存在します。そういう意味では、現代はいわば「霊とのコミュニケーションの大衆化時代」とも言えるのかもしれません。
ところで、いったいいつ頃から、霊とのコミュニケーションが、宗教的な特権性を失い、ごく普通の人々の手に渡るようになったのでしょう。
今日の「スピリチュアル」的なものに直接のルーツという観点から歴史を遡っていくと、18世紀終わりから19世紀前半のフランスやドイツでその発端がはじまり、19世紀後半の合衆国において、その重大なシフトが起こったことが分かります。
そしてその際に中心となったのが、当時、大衆の間で大流行した「交霊会」です。
今回は19世紀後半のスピリチュアリズム・ムーヴメントの中で、交霊会が実際にどのように行われていたのかを、当時の文献を元にしながら、その概要を簡単に紹介してみたいと思います。
● 1850年代、時代の流行は交霊会サークル?
合衆国で交霊会が流行するきっかけを作ったのは、本コラムで以前にもお話した1848年、ニューヨーク州ハイズヴィルに住むフォックス家ではじまった霊とのコミュニケーションでした。当時の新聞でセンセーショナルに取り上げられたその出来事は、またたく間に合衆国北東部を中心に広まりました。
当時のスピリチュアリスト、エリアブ・キャプロンによると、ニューヨーク州のオーバーンでは、1850年の夏までにラップ音や他の霊現象を生ぜしめる100人のミディアム(霊媒)が出現したと報告しています。さらに1851年の『ニューヨーク・トリビューン(New York Tribune)』では、プロビデンスに30人、ないし40人のミディアムがいると書かれています。また、同年の『デイリー・タイムズ(Daily Times)』は、シンシナティにおけるミディアムの数を1200人と見積もっています。
こうしたことからも分かるように、フォックス姉妹の出現以後、霊とのコミュニケーションは、わずか2、3年の間に、合衆国北東部を中心にした各地で、もはやどこでも見ることのできる公共の現象へと変わっていきました。それは同時に、もはや霊からのメッセージを受け取ることが、ごく少数の特別な人だけがなしえる特別なことではなく、それまで普通に生活を送っていたはずの主婦や少女たちの間でも、ミディアムになりえる人がいるかもしれないという可能性を示すものでした。
こうした大量のミディアムの出現と同時に、霊との交流を求めるより組織化された独自のサークルも形作られ始めます。
当時の雑誌『ホーム・ジャーナル(Home Journal)』で編集者のナサニエル・パーカー・ウィリスは、1850年代半ばにおいて、ニューヨーク市におおよそ300の交霊会を行うサークルがあったと述べています。
もちろん、サークルはニューヨークだけでなく、フィラデルフィア、ボストン、プロビデンス、シンシナティ、さらに州で言ってもウィスコンシン、インディアナ、ミシガンなどに、スピリチュアリストのサークルが存在したことが報告されています 。その実際の数については信頼の置ける統計が存在しないため、その正確なところは明らかではないものの、各地でかなりの数のサークルが作られていたことは間違いありません。
それにともない交霊会を行うためのガイドラインが、1851年1月25日の『スピリット・メッセンジャー』には掲載されます。
さらにフィラデルフィアの「調和の慈悲協会(Harmonial Benevolent Association)」による『フィラデルフィアで結成されたサークルの一つのミーティングで受け取られた霊的指示(Spiritual Instructions Received at the Meetings of One of the Circles Formed in Philadelphia)』(1852)、アーディン・バロウ著『霊の現れの中での真相、原因、特性に関する諸見解についての解説(An Exposition of Views Regarding the Principal Facts, Causes and Peculiarities Involved in Spirit Manifestations)』(1852)などをはじめ、交霊会についての詳細な指示を明記した出版物が続々と出回りはじめます。
中でも以前、本コラムでも紹介したアンドリュー・ジャクソン・デイヴィスは、『霊的交流の哲学(The Philosophy of Spiritual Intercourse,)』(1853)を書いて、交霊会の理論化とハウ・ツー化を促進するのに最も大きな影響を及ぼしました。
これらをもとに、以下に当時の交霊会がどのような形で行われていたのか、そのアウトラインを簡単にまとめてみます。
また、しっかりと組織化された交霊会の進行は、ある種の宗教的な儀式を思わせるものでした。外部の喧噪から遮断され、静けさの保たれた薄暗い部屋の中、参加者たちは霊的な事柄へと意識を集中する。そして決められた一定の儀式的手続きが厳かに繰り返されることで、参加者は日常生活との結び付きから離れ、宗教的感情へと浸っていくわけです。● 交霊会のガイドライン
・参加者の数は最大12人まで。
・男性と女性の数を等しくする。
・参加者は全員テーブルの周りに集まって座る。そしてテーブルの上に手を置くか、もしくは隣同士で手を結ぶ。
・そして、交霊会のはじまりには、「瞑想」、「内なる祈り」、「讃美歌を歌う」等といったことが行う。
photo by Spiritualism readings
図をご覧ください。ここに描かれているような人々が1つのテーブルを囲む交霊会の模様は、もしかすると現代の映画やテレビドラマなどのワンシーンとしてご覧になったことがある方もいらっしゃるかもしれないが、そのイメージのステレオタイプが作られたのは、まさにこの時代のことなのです。また、スピリチュアリストたちは、交霊会でテーブルを囲む参加者のポジションを説明するために、不可視の現象の説明に最も都合のよい十九世紀の最も先鋭的な科学用語――すなわち「電気」を採用します。
スピリチュアリストたちによれば、霊たちは自らの存在を表すため電気を用いる。その流れを促進するために、テーブルを取り囲む男女は交互に座るべきである。なぜなら、男性は「ポジティヴ」、女性は「ネガティヴ」な性質をそれぞれ強く持っている(小学校の理科の時間の言い方をすれば、男性は+の極、女性は-の極の性質を持っているということ)。
そして最も「ネガティヴ」な性質を持っている人物がミディアムとなる。そしてミディアムの向かい合わせの場所には、最も「ポジティヴ」な性質を持った人物が座るべきである等々。
すなわち、当時のスピリチュアリストたちは、「ネガティヴ」な性質を持つと考えられた女性性にミディアムの役割を結びつけて考えていたのです。
こうした参加者の態度と同時に、もうひとつ交霊会で重要な要素だったのが、ごく親密なつながりを持つ少人数の親しいもの同士が集い、グループの間に調和的な関係を作り出すことでした。逆に、調和を乱す懐疑的な人物などを参加させることは、霊との交信を邪魔することになるとも考えられていました。こうした調和的サークルとしての交霊会は、必然的に部外者との分離、及び排他性へと向かっていくことにもなります。
さらに前にも述べた通り、交霊会の典型的な形では、テーブルの前の人々は一定の間隔で座り手をつなぎます。それもまた完全なる調和の表現であり、デイヴィスが言うには、「電気」的な宇宙とのラポールを作り出すための手段でした。そして、さらにそれを高めるための聖歌を参加者たちは声を合わせて歌います。当時、交霊会用に作詞作曲された聖歌の集めたコンピレーションもいくつか出版されています。

たとえば、『霊の詩(The Spirit Minstrel)』(1855)の中に載っている交霊会のはじまりの歌の出だしは次のようなものとなっています。
聖なる父よ
わたしたちを穏やかに祝福してくださいますように
今宵、わたしたちが愛の中で出会い
地上でのあらゆる心配事からわたしたちを解放してくださるよう
わたしたちすべてが光で満たされますよう祈ります。
また、同コンピレーションの中の交霊会の終わりの歌では次のようにも歌われます。
交霊会での聖歌の内容は、これを見ても分かるようにキリスト教的な要素を残しつつも、同時にそこにはスピリチュアリストたちの明白なイデオロギーが混在したものでした。すなわち、聖歌を歌うことは宗教的感情を高めるだけでなく、スピリチュアリストとしての彼らの信念をはっきりと表明するものでもあったわけです。わたしたちは精神の中ではなく、肉体の中において引き離されています。
わたしたちの精神は一つであり続けます。
そしてお互いに愛の中で結ばれています。
そして手に手を取り合い進んでいきます。
もしかすると交霊会というと、今日ではなんとなく「怖い」というイメージを持たれる人もいるかもしれませんが、当時のそれはまったくその逆です。霊界にいる霊との会話は、死は終わりではないことを確信させ、愛する人の喪失の悲しみに慰めを与えるがゆえに、人々は幾度となく交霊会へと足を運んだのです。スピリチュアリズムが絶頂期を迎えた時代に出版されたユライア・クラーク著『スピリチュアリズムへの平易なガイド(Plain Guide to Spiritualism: A Hand-Book for Sceptics, Inquirers, Clergyman, Believers, Lectures, Mediums, Editors....)』(1863)では次のようにも述べられています。
長い夕べの間、社交のための食卓のまわりに家族と友人たちが集まり、永遠の春と永続する夏の地へとこの世を去った人々との交わりを求めること以上に、穏やかで優しい思いになることができる楽しみごとは他にありません 。
そう、交霊会とは、当時の人々にとって、ごく普通の家庭で親しい人々の間で行われる「穏やかで優しい思いになることができる楽しみごと」でもあったのです。
こうして霊の権威は、男性の聖職者が取り仕切る教会にではなく、家庭へと移行していきました。前にも述べたように、ミディアムは女性性へと結び付けられました。それゆえ、スピリチュアリズムにとっての聖なる場所は、当時の女性の領分だった家の応接室へと置かれるようになりました。そしてそのことが、最初に述べた「霊との交信の大衆化時代」へと道を開いていったわけなのです。
最後に宣伝になりますが、2月25日(金)19時~20時30分、新宿朝日カルチャーセンターで『チャネリングとミディアムシップ――近代スピリチュアリズムの誕生と霊界の科学』という講座を行います。19世紀後半の合衆国でスピリチュアリズムがいかにして誕生し展開していったのか、そして当時の普通の人々がいかにしてミディアムとしての能力を開発していったのかなどを、当時の資料を紐解きながら具体的に紹介していきます。チャネリングやスピリチュアリズムについて、その実際のところにご興味のある方はどうぞご参加ください。詳しくは下記リンク先をご覧ください。
(伊泉龍一)

J. B. Packard (著), J. S. Loveland (著)

ジョアン・バニング (著), 伊泉 龍一 (翻訳)


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今回のコラムを読んで思い出しましたが、エドガーケイシーは、ウィジャボード(海外版こっくりさん)を「非常に危ない物」と言っていたらしいです。